歴史全東葬とは?
東京での葬祭業組合に関する歴史は、現存する資料によれば東京葬祭具営業組合が大正8年7月27日に規約変更の許可というものが残っています。
これは昭和9年4月現在と書かれた当時の組合員名簿に記載され、規約を読んでみると葬儀請負営業者および葬儀にかかわる商品を取り扱い営業者の組織でした。
昭和16年に「生活必需物資統制令」が公布されると戦時統制組合へと改編され葬祭業務にも変化が生まれました。
昭和20年の敗戦により統制組合は解散となり昭和24年、中小企業等協同組合法の成立により東京葬祭業協同組合が成立しましたが戦時中のような配給という強制力がありませんでした。
昭和23年に世田谷を中心とする葬祭事業者が世田谷葬祭商工業協同組合を結成し昭和25年には山手葬祭協同組合に発展しました。
また同じ山の手の中野・杉並の葬祭事業者が山手組合の動きに触発され独自の組合作りを行い昭和26年に東都聖典協同組合となりました。
昭和28年になると下町を中心とした東武葬祭協同組合も誕生しました。
そして昭和28年に新生・東京都葬祭業協同組合も設立され東京の葬祭事業者組合は戦後4つに分かれて活動していたのです。
けれども分かれて独自の活動を行っていても、同じ東京で生きる葬祭事業者であっても共通の課題は起きてきます。
社会情勢の変化、行政との対応など個別に行う事の難しい問題も発生してきていました。
これらの問題に対応すべく昭和49年に4組合の懇親会として「四ッ葉会」を結成、これを基盤として昭和52年に全東京葬祭業連合会に発展しました。
そして平成12年には多摩地区の葬祭事業者が東京多摩葬祭業組合として新たに加盟し5組合による構成となりました。
平成30年には東京都葬祭業協同組合と東武葬祭協同組合の一体化、平成18年に発足した八王子葬祭業協同組合も令和2年に加盟し、今日の全東京葬祭業連合会の組織構成となっています。